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サダム・フセイン(イラク)-アメリカに二度、狙われた男

最高指導者に就任した年~失脚した年:
1979年~2003年
生没年:
1937年~2006年

1968年7月、イラク・バース党は無血クーデターにより、政権を奪回します。
同クーデターで指導的役割を果たしたサダム・フセインは、翌年、革命指導評議会副議長に任命され、1979年7月にはイラクの第5代大統領に就任します。

フセインは国内的には、治安機関を使っての国民への監視、反対派の弾圧・粛清、日常的な拷問等、恐怖政治を行い、また自身の銅像や肖像画を多数設置するなど、個人崇拝にも熱心で、まさに典型的な独裁者でした。

国際的には、やはりアメリカとのかかわりがあげられます。
1979年当時、中東はイラン革命に揺れていました。
同革命のイラクへの波及を懸念するフセインと、「イラン革命が輸出」されることを恐れる湾岸並びに欧米諸国の思惑が一致、1980年9月、イラクはイランを攻撃(イラン・イラク戦争)します。
この戦争の間、イラクはアメリカから巨額の軍事援助を受け、軍事大国と化します。

1990年8月、石油生産をめぐる対立からイラクはクウェートに侵攻、国連はイラクのクウェートからの撤退を決議します。
フセインは決議に抵抗しますが、1991年1月、アメリカ軍を中心とする多国籍軍はイラクを空爆、湾岸戦争が勃発します。
世界を敵に回したフセインは同年4月、停戦を受諾しました。

2002年1月、アメリカのブッシュ(息子)大統領は、イラクをイランや北朝鮮と共に「悪の枢軸」と決めつけ、2003年3月には、大量破壊兵器保有を名目に米英がイラクを攻撃します。

同年4月、バグダッド陥落、逃亡したフセインは、7月に潜伏先でみつかり逮捕、2006年12月、「人道に対する罪」で絞首刑に処されました。

イラクとアメリカの二度にわたる戦争は、いずれも石油価格の高騰と軍需産業へのボーナスを意図したアメリカに、フセインが利用され、最終的に葬られたという見方もあります。

査察の結果、結局イラクから大量破壊兵器は見つかりませんでした。