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総理の座、断ります。据え膳を食わなかった男たち②。小沢一郎

竹下の後を受けた宇野ですが、リクルート・消費税などの逆風に加え、自らの女性スキャンダルもあり、参院選に記録的惨敗、わずか69日間の短命政権に終わりました。
宇野の後継は海部俊樹。明るくクリーンなイメージの海部は、国民の支持率も高かったのですが、売り物の政治改革が頓挫、さらに自身の「重大な決意」発言が仇となり退陣に追い込まれます。

海部の後継候補として、リクルートのほとぼりも冷めた、宮澤喜一、三塚博、渡辺美智雄ら、実力者たちが浮上するなか、竹下派経世会会長・金丸信は、秘蔵っ子・小沢一郎を後継の総裁・総理に推します。
しかし小沢は、自らの年齢(当時49歳。自民党議員の大半が小沢より年上)と、健康状態(その少し前に狭心症で入院)を理由にこれを固辞します。
金丸の説得にも、小沢は頑固に固辞し続け、ついに金丸が諦めました。海部の後釜には宮澤喜一が収まります。

さて、この海部後継の総裁選、竹下派が候補を立てれば、宮沢・三塚・渡辺の各派は、スクラムを組んで対抗する構えを見せてはいましたが、それでも自民党最高実力者として君臨していた金丸の全面的な後押しを受けて、小沢が出馬していれば、総裁・総理の座を手中にしていたことは間違いありません。
このとき小沢が総裁選に打って出なかったのは、「いまはまだ焦る必要はない」という判断があったのだと思われます。年齢的にも若く、金丸の庇護の下、近い将来「黙っていても首相の座が約束されている」ことは、衆目の一致するところでもあり、小沢本人もそれを疑っていなかったでしょう。

ところが、元自民党副総裁・川島正次郎が喝破したようにやはり「政界は一寸先は闇」でした。
1992年10月、東京佐川急便事件で金丸がまさかの失脚。首領・金丸の後ろ盾を失った小沢は、竹下派内の抗争にも敗れ、党内における立場に赤信号が点滅、そこで乾坤一擲、自民党を飛び出します。
その後、小沢は、いくつかの政権の中枢に位置し、本人がその気になれば、総理の目もあったのでしょうが、あえて表舞台には立たず、裏で剛腕を発揮する役回りを選びます。そして民主党政権時、いよいよ首相を目指して代表選挙に出馬したときには、遅きに失した感があり、管直人に敗れ去りました。

小沢はいま、総理に座について訊かれると、「総理になりたければ、あの時(海部の後継として金丸に推されたとき)になっていた」と答えていますが、これは半分本音、半分強がり、ではないでしょうか。

そして、幻の総理・総裁候補といえば、もうひとり、後藤田正晴を忘れるわけにはいきません。竹下退陣後の後継総裁選びの時には、後藤田も伊東と並んで総裁候補に挙げられていましたが、やはり伊東同様、総裁就任を固辞。
さらに1993年、自民党が下野した際、宮澤の後継総裁を打診され、やはり固辞しますが、このとき、後藤田が後継総裁を受け、自民党総裁として首班指名選挙に臨んでいれば、武村正義ら自民党離党組の改革勢力も巻き込んで、後藤田総理が誕生していた可能性は十分にあったと思います。

元警察官僚の後藤田は、中曽根内閣の官房長官時代、危機管理に卓抜した手腕を発揮しましたが、自民党危急存亡の際になると、総裁候補に名前が挙がったのは「危機管理のスペシャリスト」の真骨頂といったところですね。

※据え膳食わぬ(すえぜんくわぬ)
→どうぞ、と差し出された料理を食べないこと。
※画像出典元:wikipedia