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即席ラーメンの創始者『安藤 百福(あんどう ももふく)』エピソード

略歴
1910年~2007年。台湾生まれ。立命館大学専門部経済科修了。
1948年、中交総社(現・日清食品株式会社)設立。
日清食品代表取締役社長、同社代表取締役会長。
「チキンラーメン」「カップヌードル」を開発。即席ラーメンの創始者。

その1.『憲兵から拷問を受ける』

22歳で繊維商社を設立するなど、若いころから様々な事業を手掛けていた安藤ですが、戦時中、国から支給された部品の横流しをした、という濡れ衣をきせられて、憲兵隊に連行されたことがあります。
当局は虚偽の自白調書にサインをするように迫りますが、安藤は頑として罪を認めず、連日過酷な暴行を受けます。結局、無実が証明されて釈放されるのですが、この拘束期間中に受けた暴行の後遺症は、その後の安藤の健康に影響を与えました。

その2.『信金倒産で全財産を失う』

戦後も製塩事業や交通技術専門学校開設、国民栄養科学研究所の設立など、手広く事業を展開していた安藤は、大阪に新設された信用組合の理事長就任を懇願され、引き受けます。
しかし資金繰りに行き詰まり、信用組合は経営破綻、負債を弁済することになった安藤は、財産をすべて失ってしまいました。この信金破綻時に、取引き銀行の容赦ない取り立てを目の当たりにしたことが、現在の日清食品の無借金経営につながっているそうです。

その3.『チキンラーメン開発成功。ヒントは妻の天麩羅』

インスタントラーメンの開発に当たって、安藤が最も苦労していたのは、保存性・簡便性の両立に不可欠な「麺の乾燥」方法でした。
そしてある日のこと、妻が天麩羅を揚げているのを見て、安藤は閃きました。試しに麺を高温の油で揚げてみると、水分が蒸発し見事に乾燥、さらに麺に細かい穴もあき、保存性に加えて、簡便性の問題も解決されてしまいました。
かくして、インスタントラーメン製造の基本技術となる「瞬間油熱乾燥法」が確立され、「魔法のラーメン」と呼ばれた、チキンラーメンが誕生したのです。

その4.『欧米視察と世界のカップヌードル』

1966年、安藤は「チキンラーメン」の世界進出を図るために、欧米に視察旅行に出かけました。
そこで、アメリカのスーパーマーケットの担当者たちが、「チキンラーメン」を小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べはじめるのを見て、丼も箸も使わない欧米と、日本との食習慣の違いに気が付いたのです。
この食習慣の違いを乗り越えようとする知恵が、「カップ入りの麺をフォークで食べる」というスタイルになり、カップヌードルが世界を制する原動力ともなったのですね。

その5.『長寿の秘訣』

安藤は2007年1月に、まさに生涯現役という形で長寿を全うし、96歳で亡くなりましたが、晩年、長寿の秘訣を訊かれると、「週2回のゴルフと毎日お昼に欠かさず食べるチキンラーメン」と答えていたそうです。
また、これも晩年に外国人記者から「インスタント・ラーメンは身体によくないのでは?」という質問をされると、「私は毎日、インスタント・ラーメンを食べてきましたが、こんなに健康です」と言ったそうです。

その6.『ミスターヌードルに感謝』

安藤が亡くなったとき、米紙ニューヨークタイムズは「ミスターヌードルに感謝」という見出しで、その死を悼む社説を掲載しました。
社説は、安藤のインスタントラーメン開発とインスタントラーメンの人類に対する貢献に賛辞を送り、さらに「人に魚を釣る方法を教えれば、その人は一生食べていけるが、人に即席めんを与えれば、もう何も教える必要はない」と結ぶ内容で、ミスター・ヌードルに最大限の敬意を払うものでした。

安藤百福(あんどうももふく)

【画像】日清食品グループホームページ