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島倉千代子(しまくら ちよこ)エピソード

略歴
1938年~2013年。日本音楽高等学校卒業。東京市(現東京都)品川区出身。日本の歌手。第30回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞(受賞曲:人生いろいろ)。代表曲・「この世の花」「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」等。

エピソード1『疎開先で大ケガを負う』

戦時中、島倉は長野県松本市で疎開生活を送っていました。
1945年、7歳の時、その疎開先で島倉は、割れたガラスで、左腕の手首から肘近くにかけて大ケガを負ってしまいます。なんとか切断は免れたものの、47針も縫う重傷で、以来、左腕が自由に動かせなくなりました。このケガのせいもあって、子供時代は外で遊ぶより、家で過ごすことが多くなったそうですが、それがかえって歌に親しむきっかけとなった、ということです。

エピソード2『爆弾魔の標的に』

1962年から1963年にかけて、「草加次郎」の名前を用いた、十数件に及ぶ爆弾・狙撃、脅迫事件が発生しました。いわゆる「草加次郎事件」ですが、この事件で標的のひとりとされたのが島倉でした。
1962年11月、島倉の後援会事務所に、差出人名のない郵便物の形で爆発物が届けられ、開封した男性事務職員が2週間の火傷を負う被害を受けました。また「草加次郎事件」では、吉永小百合も脅迫の被害に遭っています。今も昔も人気芸能人は、犯罪のターゲットにされやすいのですね。
ちなみに「草加次郎事件」は1978年9月に公訴時効が成立。未解決事件となっています。

エピソード3『借金16億円を完済』

1970年代半ば、島倉は知人に実印を貸してしまったことから、知人のみならず、全く面識のない他人まで含めた多くの人間の連帯保証人とされてしまい、16億円(一説には20億円ともいわれています)もの借金を負ってしまいます。
しかし、島倉はその多額の借金を地方での興行や全国の営業回りなどを必死にこなして完済したのですから、たいしたものです。
人気スポーツ選手や芸能人が食い物にされる話は珍しくはありませんが、お人よしに世間知らず、金銭管理が甘いところに多額の収入とくれば、群がってくる人種は後を絶ちませんよね

エピソード4『紅白出場辞退の真相は?』

1987年、島倉は会見を開いて、1957年から86年まで30年連続で出場していたNHK紅白歌合戦への出場を辞退した、と発表しました。
辞退の理由としては「30回という区切りを大切にしたい」という説明でしたが、真相を巡って様々な憶測がなされました。
この年、島倉は落選したのだけどNHK側が「功労者・島倉千代子」の面目を慮って、辞退と発表することを容認した、という説もあるようですが、島倉本人は「落選が怖かったので、余力のあるうちに辞退しようと思った」と語っています。
2014年には、この時にNHK関係者に宛てた、紅白歌合戦を辞退する旨を記した直筆の手紙が公開されてもいます。いずれにしてもトップ歌手のプライドを保つのは大変なようですね。

エピソード5『代表曲が故郷の電車接近メロディに採用される』

2008年、島倉の代表曲「人生いろいろ」が、彼女の出身地である品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅の電車接近メロディに採用されました。
青物横丁界隈で生まれ育った島倉は、地元駅の電車接近メロディに自分の歌が使われることを喜び、2009年1月、実際に青物横丁駅を訪れて、ホームに流れる「人生いろいろ」に耳を傾けていたそうです。
2013年、死の数か月前、島倉は病床にありながらも、青物横丁駅にまつわる思い出のエッセーの依頼を引き受け、口述筆記の形で書き上げました。

エピソード6『死の間際に執念のレコーディング』

ガンとの闘病生活を送りながらも、島倉はデビュー60周年に向けた新曲を南こうせつに依頼していました。
新曲のレコーディングは当初、11月15日に決まっていたのですが、レコーディング予定日の半月ほど前に、島倉から「その日まで声が持たない」と関係者に連絡が入り、急遽11月5日に島倉の自宅でレコーディングが行われることとなります。
レコーディングに立ち会った、南こうせつによれば、島倉は病魔に体力が奪われながらも3度も歌ったそうです。そしてその歌声を南は「奇跡の歌声だった」と評しています。
島倉はその3日後に死去、国民的歌手の最期に相応しい、まさに死を賭してのレコーディングでした。遺作となった、新曲「からたちの小径」は、島倉の四十九日にあたる日に発売されました。

【人物画像】日本コロンビア