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石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)エピソード

略歴
1934年~1987年。慶応義塾大学中退。日本の俳優、歌手。石原プロモーション代表取締役社長。代表作品、映画・「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」「夜霧よ今夜も有難う」「黒部の太陽」、テレビドラマ・「太陽にほえろ!」「西部警察」、楽曲・「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」、他多数。兄は作家で元東京都知事の石原慎太郎。

エピソード1『遊び人から銀幕のスターへ』

学生時代、石原は父の死やオーディションの失敗などの挫折から放蕩三昧の生活を送っていました。
心配した兄の慎太郎は、自身の文芸作品「太陽の季節」が映画化される際、プロデューサーの水の江瀧子に、映画に弟・裕次郎を出演させてくれるように頼みます。水の江は快諾し、石原は同作品で俳優デビュー、その存在感で注目されることとなりました。
そして「太陽の季節」の2か月後に公開された「狂った果実」で初の主役を演じ、一気にスーパースターへの階段を駆け上がったのです。この中平康監督の代表作「狂った果実」は、フランスのヌーベル・バーグに影響を与えた作品ともいわれています。

エピソード2『歌手・裕次郎、紅白を辞退』

独特の裕次郎節で、歌手としても「銀座の恋の物語」「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜も有難う」等々の数多くのヒット曲を飛ばした石原。「銀恋」などは、いまでもデュエット曲の定番として歌われ続けていますよね。
石原の場合は、自らの主演映画の主題歌を歌ったことも、相乗効果を生んで歌のヒットに繋がった側面もあるようです。
ちなみにレコーディングは一回で成功させたそうですよ。ミリオンセラー連発の「人気歌手・石原裕次郎」には当然ながらNHK紅白歌合戦からの出演オファーがありましたが、石原は「歌は素人だから」という理由で断り続けていたようです。
紅白の舞台に立ったのは一度、第8回紅白に雪村いづみの応援ゲストとして出演したときだけでした。

エピソード3『日本に3台のベンツを所有』

石原といえばヨットのイメージですが、カーマニアとしても知られています。
ロールス・ロイスをはじめ複数の高級車を所有していましたが、中でも最も大切にしていたのが、メルセデス・ベンツ・300SLガルウィングです。
プロレスラーの力道山が同じ車を所有していて、それを見た石原が欲しがったので、力道山は、日本に輸入されていた別の300SLを捜し出して、それを石原に紹介したのだそうです。
当時、この車を日本で所有していたのは力道山、石原の他には三橋道也だけだったといわれています。
1950年代のスポーツカーを代表するともいわれる、このメルセデス・ベンツ300SL、現在では5千万円とも1億ともいう価格が付けられているそうです。
石原が亡くなるまで大切にしていた300SLは、現在、小樽の石原裕次郎記念館(2017年8月閉館予定)に展示されています。

エピソード4『記者会見、正月ハワイ、の先駆け』

日本の芸能界で初めて記者会見を開いたのが石原でした。
1960年、当時恋愛中だった石原と北原三枝(後の石原まき子夫人)が、マスコミの目を逃れて渡っていたアメリカから帰国、羽田空港の控え室で開いた会見が芸能人の記者会見の最初とされています。
ちなみにこの10カ月後に行った2人の結婚会見が芸能界で2番目の記者会見だったそうです。
また、日本の芸能人の正月といえば「ハワイ」ということになっていますが、その元祖も石原だったようです。石原は毎年、正月をハワイの別荘で過ごすのを恒例としていて、それが「芸能人の正月=ハワイ」の図式の先駆けとなったということです。

エピソード5『セリフ覚えは悪かった』

石原は、セリフ覚えが悪かったといわれています。刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の「ボ
ス」こと藤堂俊介役を演じたときは、机の引き出しの中などに台本を忍ばせ、それをみな
がら、セリフを言っていたそうです。そのおかげでNGもほとんど出さなかったようです
が。石原が映画スターとして人気絶頂だった時代は、新作映画が次々と大量生産されてい
た時代で、俳優たちはろくにセリフを覚える暇もなかったようですから、石原のセリフ覚
えの悪さも、その時代の名残りなのかもしれませんね。

エピソード6『ビールは水』

石原は酒豪でも有名でした。ビールが好きで、「ビールは水」と豪語し、休みの時などは、朝食からビールを飲んでいたといわれています。
テレビドラマの撮影の時なども、石原の座る椅子の下にはビールケースが置かれ、ワンカット撮り終わるたびに缶ビールを飲んでいたそうです。
まあ、それでも演技には全く支障をきたさなかったそうですから、相当に強かったのですね。
また、レコーディングの時も必ずビールを飲んで臨んだ、という話もあります。
石原は、宇野重吉との共演で日本酒のCMにも出ていました。CM中のお酒が本物かどうかは定かではありませんが、美味しそうに飲み干していましたよね。

エピソード7『タフガイ、ついに力尽きる』

石原の人生は、一方で怪我や病気との闘いの歴史でした。
自動車事故で右足打撲、スキーヤーと衝突し右足首粉砕複雑骨折、ヨット乗船中に右まぶたを11針縫う怪我、右手親指骨折及び左足打撲で入院、等々、大怪我の数々、さらに舌下潰瘍で入院・悪性の診断を受けて手術、解離性大動脈瘤と診断を受けて手術、癌再発、肝臓癌発覚、病院に緊急入院・肝内胆管炎と診断、と病気の方もケガに負けず劣らずでした。
それでも石原は自身のニックネームでもあった文字通りの「タフガイ」ぶりを発揮、何度も瀕死の状態から復活します。
特に1981年の解離性大動脈瘤の手術は、生還率約3%からの復活で、まさに「タフガイ」の真骨頂といったところでした。
しかしさしもの「タフガイ」も1987年、ついに肝細胞癌の前に力尽き、この世を去ってしまいます。享年52歳。高度経済成長期に燦然と輝いた「嵐を呼ぶ男」の早すぎる死でした。

【人物画像】Amazon