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杉原 輝雄(すぎはら てるお)エピソード

略歴
1937年~2011年。大阪府茨木市出身。日本のプロゴルファー。ツアー通算28勝(日本ゴルフツアー制度施行後)。第3回日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者。

エピソード1『アメリカ人の誘いを断る』

日米のトップ・プロが参加した、日米対抗のゴルフマッチでのことです。
アメリカチームから「日本チームにアマチュアが混ざっている」とクレームが付きました。このとき、アメリカからアマチュア呼ばわりされたのが杉原でした。
小柄で変則的なフォームの杉原ですから、アメリカ側の勘違いも無理はないのですが、結局、試合で個人優勝したのは杉原でした。
試合後、杉原はアメリカ人選手から渡米の誘いを受けます。
「アメリカには大金持ちで腕自慢のアマチュアゴルファーがゴロゴロしている。そういう連中にお前の変則スイングを見せた後で、賭けゴルフの誘いをかければ、いくらでも乗ってくる。連戦連勝で大金持ちになれるぞ」もちろん杉原はこの誘いを断りました。
ちなみに誘いをかけたアメリカ人選手として、リー・トレビノやトム・ワイスコフなどの説があります。

エピソード2『プロ意識』

マナーや礼儀に厳しいことで有名だった杉原。
折れたティやタバコの吸殻、ゴミなど、拾いながらプレーし、杉原が通った後は何のゴミも落ちていない、といわれたほどです。
またプレー中やホールアウト時、観客から拍手を受けると必ず帽子を取って頭を下げていたそうです。
これらの行為について杉原は、「プロゴルファーは、スポンサーや観客・ファンがあってこそプロとしてやっていける。ティグランドのゴミを拾ったり、求められたらサインをするのはプロとして当然」と語っています。
他のゴルファーの手本ともなる、さすがのプロ意識ですよね。

エピソード3『天下の尾崎にクレーム』

杉原は、ルールにも厳格でかつ精通していました。
尾崎将司が芝を踏みつけているのを見た杉原は、「尾崎君の草を踏んだ行為は、ライ(プレーライン)の改善に当たるのでは」と指摘します。
尾崎も故意ではなかったものの、これは故意か否かにかかわらず、ルールに抵触する行為でしたから、仕方がないと思ったようです。
それにしても人気絶頂だった、ジャンボ尾崎に、平然とクレームをつける姿勢と貫禄はさすが杉原でした。

エピソード4『手術を拒否し、ツアー参戦』

杉原は、60歳の時に前立腺ガンと診断されました。
手術をすれば治る可能性は高かったようですが、そのために3カ月クラブを握れなくなると聞いて、手術を拒否、投薬治療を選択します。
同じような時期に加圧式筋力トレーニングも開始し、「生涯現役」を宣言、ツアーに参戦し続けます。そしてその間、「つるやオープン」での史上最年長予選通過や中日クラウンズでの連続出場記録などを達成します。
杉原は、「命は大事だが、ゴルフをしたい。ジャンボ、青木、中嶋と回って勝ちたい」と言ったそうですが、プロゴルファー、勝負師としての執念と闘争心には凄まじいものがありますね。

エピソード5『天国でも契約継続』

2011年12月、74歳にて杉原はこの世を去りました。
棺の中には、「天国でもすぐにゴルフができるように」と、帽子や手袋、ボールマーク、レインウェア、ティーなどの愛用のゴルフ用品が収められ、さらには、用具契約を結んでいたデサントの「来季契約書」も入れられました。
杉原とデサントは永久契約を結んでいたので、通常は契約書など交わさないそうなのですが、担当者が契約書を持って、葬儀に駆け付けた、ということです。
デサントの計らいも粋ですが、これも誰からも慕われた「ゴルフ界のドン」の人徳だったのでしょうね。