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やなせ たかし(柳瀬 嵩) エピソード

略歴
1919年~2013年。東京府北豊島郡滝野川町(現東京都北区)生まれ。東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部デザイン学科)卒。日本の漫画家、絵本作家、詩人、作詞家。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長。社団法人日本漫画家協会代表理事会長。有限会社やなせスタジオ社長。代表作品「アンパンマン」。雑誌「詩とメルヘン」編集長。

エピソード1『いまも残るmitsukoshiのレタリング』

1950年、三越百貨店は包装紙のデザインを一新することを企画し、その「百貨店のシンボルとなるような包装紙」のデザインを洋画家の猪熊弦一郎に依頼します。
この時できあがった、白地に赤の模様の「華ひらく」と題されたデザインに「mitsukoshi」の文字のレタリングを手掛けたのが、当時三越宣伝部に所属し、デザイナーとして働いていた「やなせ」でした。
いまも使われている、三越の包装紙、我々にもおなじみのデザインですよね。ちなみにやなせは、三越に勤める傍ら、副業として漫画も描き、この漫画で得る収入が、三越の給料を大きく上回ったことで退職を決意したそうですよ。

エピソード2『国民的大ヒット曲を作詞』

三越を退職後、漫画の仕事が減ってきた時期、やなせは漫画家と並行して、テレビ番組出演やインタビュアー、舞台美術制作、放送作家など、マルチな活動をこなします。
業界内では何でも引き受けてくれるやなせを「困ったときのやなせさん」とも称していたそうです。
この時期のやなせの最大の仕事といえば、やはり「手のひらを太陽に(作曲はいずみたく。永六輔作演出のミュージカルの舞台美術をやなせが手掛けた際、作曲家のいずみと知り合う)」の作詞でしょう。
現在、国民的歌唱曲ともなった「手のひらを太陽に」。アンパンマン以前にも、作詞家として後世に残る大ヒットを飛ばしていたのです。

エピソード3『アンパンマンの正義』

アンパンマンは、自分の顔をちぎって、ひもじい思いをしている人に食べさせます。それがアンパンマンの「正義」です。
世の中に氾濫する、数多のヒーロー達の「正義」に比べて、なんだか垢抜けない気もしますが、このアンパンマンの「正義」について、やなせはふたつの理由を挙げています。ひとつは「世の中には立場によって様々な『正義』が存在するが、ひもじい人に食べ物を与えることはどんな状況であれ、変わらない『正義』である」こと、もうひとつは「正義を行うときには、自分が傷つかずにはできない(自分の顔をちぎって渡すのはその象徴的行為)と考えている」こと。
正義の普遍性についての考え方には、自身の戦時体験が大きく影響しているようです。

エピソード4『まんが甲子園に資金提供』

全国の高校生を対象として、毎年8月に高知市で開催されている漫画コンクール「まんが
甲子園」。高知県などが主催する、このコンクールの審査委員長を、やなせは1992年の開始当初から務めていました。
2005年、高知県が財政難を理由に、まんが甲子園入賞校へ贈る賞金の額を半額にする方針を決めた際には、この決定に心を痛めたやなせは、「参加する人たちにとっては高知県の財政なんて関係ない。みっともないし、高校生が悪い印象を持って帰るのはよくない」として、高知県に対し、自ら資金提供を申し出ます。
漫画の振興を常に第一に考えていた、いかにもやなせらしい行動でした。

エピソード5『ギネス記録とキャラクター』

やなせは、キャラクター作りに関して「やろうと思えば、だいたい20~30分でできてしまう」と語っています。
その言葉通り、アンパンマンには全シリーズを合わせると、2000種類以上のキャラクターが登場し、2009年7月には、単独のアニメシリーズのキャラクター数1768体でギネス世界記録にも認定されているほどです。
アンパンマンには主役のアンパンマンの他にも、ばいきんまんやジャムおじさん、メロンパンナちゃん、カレーパンマン等々、多数の個性的なキャラクターが登場しますが、やなせは「アンパンマンが成功したのは、ばいきんまんの功績が大きい」としています。
ばいきんまんの登場によって、敵と味方の共生関係いうメッセージが生まれた、というのがその理由だそうです。

エピソード6『引退撤回』

やなせが年齢的な衰えや体調不良から引退を考えていた時期に、あの東日本大震災が起こりました。
被災地ではアンパンマンマーチへのリクエストが殺到、心も身体も傷ついた子供たちに、アンパンマンが笑顔と勇気を与えていることを伝えられたやなせは、引退を撤回、現役続行を決めます。
やなせは、アンパンマンのポスターを作成して贈るなどして、被災地を支援しました。

エピソード7『ただ働き』

やなせは、糸井重里との対談で「高知県などの地方自治体等に依頼され、200以上ものキャラクターデザインを提供してきたが、そのほとんどは無償提供だった」と明かし、その理由については「俺は巨匠にならないと決めたんだから、どんな仕事でもやらなくちゃいけない」とし、「つまり、すごく軽く見られてるんだよ」と笑い話のように語っています。
対談相手の糸井は、この件を含め、なにかと持ち出し仕事の多いやなせのことを「自分の顔をちぎって食べさせるアンパンマンのみたいだ」と評しています。
後にこの対談記事の内容を知った漫画家の吉田戦車は、ツイッターで、「あの人の『タダ働き』に甘えてきた多くの自治体とか組織は恥じろ」と批判、その批判は至極もっともなのですが、ただ糸井のやなせ評は、やなせの「人のよさ」をうまく表していますよね。

エピソード8『病気の総合商社、国民的漫画家の大往生』

アンパンマンのアニメ放送がスタートし、それが大ヒットした時、やなせはすでに69歳になっていました。
超遅咲きの売れっ子人生が始まったわけですが、一方でその時期から病気との闘いが始まります。
67歳で腎臓結石、70代で白内障と心臓病を患い、80代に至っては、ヘルニア、膵臓炎、緑内障、糖尿病、腸閉塞、腎臓ガン、膀胱ガン(10度以上再発)ときて、90代で、肺炎、腸閉塞と心臓病の再発です。本人も著書で語っているように、まさに「坂道を転げ落ちるように病気、また病気」ですよね。
身体の方も、膵臓の3分の1と胆嚢と脾臓を切除、左腎を摘出、小腸を45cmカット、心臓病にペースメーカー、と文字通りの満身創痍です。
そして2013年、94歳にて、子供に夢と勇気を与え続けた、国民的漫画家の大往生と相成りました。

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